ガシ校の想い出
東山中学・高等学校で青春を過ごした同窓生の想い出を募集しています。面白かったこと、心に残っていること、今だから言えるこんなことあんなこと、ひとりひとりの心の中のガシ校にまつわる想い出の欠片を集め、次の世代へ受け継いでいきましょう。

先生についての想い出
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1989年 卒業 | 北原 慎治 先生について
怖いけど優しい先生たち。自分が受けた教えを次世代の子供たちにも感じてもらいたい
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1977年 卒業 | 森ハルト 先生について
いい生徒ではなかったのであまり思い出したくもないが今から思うとあんなにいい先生方はいなかったと思う。
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1974年 卒業 | 住友秀行 先生について
日本史の田原先生が、「君たちは日本史の教科書に出てくる多くの舞台である京都で勉強している。北海道や沖縄の生徒たちも同じ教科書を使っていることを思うと本当に恵まれている。」と話された事が今も思い出されます。
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75歳になったいま、振り返ると、人生の中で一番多感な時期はわずか3年間の高校生活だと思う。同時に身体面では充実しており体重が最高だった。叶わぬ希望と淡い夢を膨らませた。「志し・理想をいくら高く持っても、誰からも、とがめられることはない」という教訓がある(藪亀太:「こころの旅」)。
倶楽部活動では応援団が自身に向いていた。また、それしか合わなかったといえる。西京極球場で夏の全国高校野球大会京都府予選のとき、夏なのに厚い学生服をまとい、汗を流し、声をからして吹奏楽部と共に応援した。
高校時代の授業は楽しいことばかり思い出す。商業科選択は後の社会生活で随分役立った。簿記、商業法規、商業通信文などは、その後の大学の経営学部講義より有益であった。化学の教諭がドイツ語用語を言った。新鮮だった。「国語」や「人文地理」が向いていることも自覚した。
期末試験のとき、親友3人(奥村伊市郎君・大井富夫君)がチャルメラの笛に誘われて、やたらに胡椒の効いた屋台の中華そばを食べながら、深夜まで翌日の試験問題に対して‘当らない予想’をしたなァ!
私学は教諭の移動が少ないためか、卒業後、母校を訪れても、先生がおられる。有り難いことだ。
なぜ宗教戦争はなくならないか?せっかく「宗教」科目があるのだから、法然上人も含めて、世界的な見地からベーシックな知識の授業をして頂きたいと、卒業後、思った。
昨今と言えば、ほとんどの科目のNHK高校講座を視聴して高校時代の不勉強を補っている。
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1967年 卒業 | 山本 恵 先生について
真坂 寅造 先生の組でした。
1974年 卒業 | 真柴 佳彦 先生について
私のころはまだ市電の時代で、毎日、市電洛北高校前から河原町丸太町乗り換えで天王町まで通学しておりました。入学当初は宗教色にたいへん抵抗を覚えましたが、牧先生の授業がきっかけとなり好感へと変わったことが自分なりに不思議なことでありました。今は学長としてご活躍の奥田先生も、まだ新任のころで、私の2年生の時のクラスを初めて担任として持たれましたが、なんとないぎこちなさと共にフレッシュな印象が今でも記憶に残っており、たいへん懐かしいです。